HUMAN RIGHTS WATCH

ビルマ

ビルマの悲惨な人権状況は2007年に広く国際的な注目を集めた。8月と9月の反政府運動が、強権的な支配を行う現軍事政権=国家平和開発協議会(SPDC)の治安部隊によって厳しい弾圧を受けたためである。ビルマでは基本的な自由が依然として否定されており、インターネットや長距離通信手段の利用のほか、表現や集会の自由への制限は2007年に大幅に強化された。非ビルマ民族が住む地域では、民間人への広範な人権侵害行為が発生している。具体的には強制労働や超法規的処刑、性暴力、土地と資産の接収である。

抗議行動への激しい弾圧  
経済の悪化を受けたデモの発生とその参加者の逮捕という事態が2月以降起きていた。抗議行動の直接の原因は、生活水準の低下のほか、医療や教育の不十分さ、電力供給の不安定さだった。政府は天然ガスの輸出による莫大な収益があるにもかかわらず、8月15日に燃料価格を突如大幅に引き上げ、一般市民に直接的な不利益を与えた。  
 
ラングーン(ヤンゴン)では燃料費の値上げに対する小規模の抗議デモが「88世代学生」グループのメンバーと国民民主連盟(NLD)の党員・支持者によって行われ、生活条件の改善と、政治改革に関する政府との対話を要求した。しかしデモは警察のほか、公称会員数2300万人の親政府「社会福祉」団体である連邦団結開発協会(USDA)や、民兵組織「スワンアーシン」のメンバーによって強制解散させられた。8月には150人以上の反体制活動家が逮捕され、数十人が潜伏を余儀なくされた。  
 
9月になると、仏教僧と民間人によるデモは、マンダレーやヤカイン州シットウェー、マグエー管区パコックなどラングーン以外にも広がった。パコックでの僧侶暴行事件を境にデモの回数が増加した。そして9月後半には、ラングーンでの僧侶による行進は大規模化し、活動家、アーティストなど民間人が毎日のデモに徐々に参加していった。9月22日には1,000人以上の僧侶と支持者が、ノーベル平和賞受賞者アウンサンスーチー氏の自宅に向かって行進するのを許された。  
 
9月26日、ラングーンでのデモは暴動鎮圧部隊によって暴力的に解散させられた。ビルマ国軍の正規兵が、非武装の民間人に催涙ガスやゴム弾、自動小銃を発射して部隊を支援していた。夜になると僧院と民家に暴力的な家宅捜索が行われる一方で、ラングーンやマンダレー、カチン州ミッチーナ、バゴー管区ペグー(バゴー)、シットウェー、パコックなどではデモが翌日も続き、治安部隊によるデモ隊への暴力は激しさを増した。小規模のデモがそれから数日続き、警察と軍はラングーンで約3000人の僧侶を逮捕・拘留した。ビルマ国内からの複数の報告によると、ラングーンでのデモでは推計で民間人100人程度が死亡しており、ビルマ国内の各地でも抗議行動参加者の死亡例について未確認の報告がある。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、12月に発表した報告書で20人の死亡を確認できたが、真の死亡者数はもっと多いと推測される。軍事政権は公式発表で死者数を15人、逮捕者数を3,000人以上と述べ、うち2,000人以上をすでに釈放したと主張している。だが現在も数百人が依然として拘束されている恐れがある。  
 
軍事政権は国際的な批判に譲歩せず、国内各地で連邦団結開発協会やミャンマー女性問題連盟を使って大規模な集会を開催し、ビルマへの外国の干渉を非難するとともに、内政不安が生じているのは外国報道機関や亡命ラジオ局が抗議行動を扇動するからだとした。  
 
停滞する民主化  
憲法制定のための国民会議(NC)は1993年の設置以来、何年にも渡って計画性なく招集されてきたが、9月3日に審議を終了した。国民会議では、政党や民族集団など軍に属さない代表団の参加は厳しく制限され、代替案は一様に無視され、会議を批判することは法律で明示的に禁止されていた。会議で決定した一連の基本原則を元に、最終的な憲法草案が作成される。この憲法の条文の多くが、将来の文民議会に対する国軍の統制を固定化し、市民の自由と権利を制限し、また将来の大統領に対して、国家主権を脅かす事態が生じた場合には広範な非常事態権限を付与することを定めている。  
 
人権活動家  
軍事政権は、アウンサンスーチー氏(5月に自宅軟禁が1年延長された)など約1,100人の政治囚を収監し続けている。またミンコーナイン氏や88世代学生グループ幹部など8月と9月に逮捕された反体制活動家の拘束が続いており、拘束場所は不明である。  
 
人権活動家への襲撃は他にもあり、4月には「人権擁護・促進」グループのメンバー2人がラングーン北部で連邦団結開発協会のメンバーに暴行を受けた。当局はピューピューティン氏(HIV/エイズ教育の有力な活動家)を、公立病院で抗レトロウイルス薬が入手できないことに抗議したとして、5月21日から7月2日まで拘束した。  
 
軍事政権は副労働大臣アウンチー少将をアウンサンスーチー氏への公式連絡係に任命した。両者は定期協議の確立に向けた予備会談をすでに行っている。  
 
民族集団への暴力の継続  
国境周辺の非ビルマ民族居住地域では、広範な人権侵害が存在しており、強制労働や超法規的処刑、女性(成人と未成年)への性暴力、土地の没収、民間人の食糧生産を妨害するための地雷敷設などが行われている。カレン州北部での軍事作戦により、2006年前半からこれまでに民間人約40,000人が国内避難民となっており、推計では、ビルマ軍の攻撃と敷設した地雷により民間人約150人が死亡している。この地域ではビルマ軍の基地43箇所が新設されており、建設には囚人労働と民間人による強制労働が用いられた。また地元の民間人は建設資材の提供も強制させられた。囚人ポーターのうち推計で約500人がビルマ軍の人権侵害行為により死亡した。死亡理由の一つには、民間人に対し、強制的に文字通りの人間地雷除去機役をさせる「非道な地雷除去」法がある。ビルマ軍と非政府武装組織は広範囲に地雷を使用している。  
 
ビルマ国軍部隊による人権侵害行為はこの他にも、カレンニーやチン、シャンの各州でも日常的に発生している。国軍は非ビルマ民族居住地域で一切罰せられることなく性暴力を用い続けている。一例として、2月にカチン州プータオで、十代の少女4人がビルマ陸軍士官4人に強かんされた。  
 
赤十字国際委員会(ICRC)には2006年1月以来、刑務所訪問の実施許可が下りていない。同委員会は2007年の間に、活動に課せられる制約のために、地方に開設していた現地事務所数カ所を段階的に閉鎖した。6月に発表した異例の公式声明で、同委員会は「タイ・ミャンマー(ビルマ)国境で生活する男女と子どもへの度重なる人権侵害行為は、国際人道法の多くの規定に違反するものだ」との懸念を表明した。  
 
子ども兵士  
ビルマ国軍への子どもたちの採用は、高い脱走率と慢性的な人員不足を理由に現在も継続している。採用担当者と民間人のブローカーは、ほんの10歳の子どもを入隊させるために強制や脅し、物理的な力を用いた。元兵士の話によれば、訓練所の多くでは、新兵に占める子どもの割合は30%以上である。  
 
複数の非政府武装組織が、子どもを兵士として採用しているが、その数はビルマ国軍よりはるかに少ない。  
 
人道上の懸念、国内避難民、難民  
2007年にビルマの人道上の危機は悪化した。国連ならびに海外援助機関が行う活動に対する政府の規制(厳重な監視や移動制限など)が続いているためだ。6月に発表された国連開発計画(UNDP)による家庭生活状況調査によれば、ビルマ国内の民間人の3分の1は貧困ラインより下位にある。  
 
軍事政権と国連エイズ合同計画(UNAIDS)が発表した公式統計によれば、ビルマでのHIV/エイズの感染の勢いは弱まっている。しかし外国の非政府組織(NGO)が移動や医療施設の訪問に関して制限を受けているため、危機の深刻度が過小評価されているのではないかとの懸念がある。オーストラリア、欧州委員会、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、英国が資金を拠出する「3大疾病基金」(3DFund)は2007年に活動を開始し、ビルマでのHIVとマラリア、結核の流行に対処するために2回に分けて支援金を各プロジェクトに分配した。6月に米国の研究機関が発行した健康と人権に関する重要な報告書によれば、ビルマの国境地帯でのマラリアや結核、HIV、その他の病気(多くが薬剤耐性を獲得している)が大流行しているが、保健医療費に対する政府支出は軍事費に比べると微々たる額であるため、流行に歯止めが掛かるどころか更に拡大している。  
 
2007年中には、ビルマ東部で生活する推計約50万人の国内避難民(IDP)の悲惨な状況にはほとんど変化がなかった。都市部など、ビルマ東部以外の地域で生活基盤を破壊された人々の数を推定することは困難である。国際人道団体は、軍事政権が許可を出さないため、タイ国境に近いシャン、カレン両州内の国内避難民居住地域を訪問することができない。  
 
カレン州内での戦闘から避難してきた民間人数千人は、タイ領内の難民キャンプに移動することをタイ当局によって阻止されている。シャン州からの難民はタイ国内に避難することがいまだに認められておらず、2007年には難民がビルマに強制送還される事件が起きた。ビルマ西部とバングラデシュからのロヒンギャ・ムスリム推計約2,500人が、2006年11月から2007年5月にかけて南タイに到着したが、タイ治安部隊に逮捕された。複数の事例では、ロヒンギャがタイ当局によってビルマに国外退去させられていた。  
 
難民約150,000人がタイ国境沿いの14カ所の難民キャンプで依然生活している。2004年以降、難民約40,000人が、第三国(米国、カナダ、ノルウェー、オーストラリア、スウェーデンなど)に移住した。タイ当局は、難民申請を審査する県難民登録委員会(PAB)のメカニズムを停止しており、未登録のキャンプ居住者に対して国内避難民居住地に送り返すと日頃から脅迫している。  
 
ビルマからの移住労働者に対するタイ国内の規制は増加した。複数の県で移住労働者に夜間外出禁止令が出され、携帯電話とオートバイの使用が禁止された。ビルマの移住労働者と難民は、インドやマレーシア、シンガポールで嫌がらせを受け、恣意的に逮捕され、拘束中に人権侵害の被害に遭っている。  
 
主要な国際アクターの動向  
8月から9月に起きた事態に対して、国連のビルマ問題に関する事務総長特使であるイブラヒム・ガンバリ氏が二度ビルマを訪問し、軍事政権首脳およびアウンサンスーチー氏と会談した。ガンバリ氏は帰国後の10月5日に安全保障理事会で報告を行い、「現在も治安部隊と非正規分子が人権侵害行為を行っているとの懸念すべき情報が引き続き報告されている」と述べた。国際社会は軍事政権に対して、ガンバリ氏に被収容者との面会を許可するよう求めたものの、軍政側はこれを認めなかった。なお軍政は氏の訪問中のスケジュールを厳密に管理していた。  
 
国連人権理事会は特別会合を10月2日に召集して「暴行、殺害、恣意的拘束、強制失踪など、現在も続くミャンマーでの平和的な抗議行動への弾圧を強く非難する」との声明を発表した。ビルマの人権状況に関する特別報告者であるパウロ・セルジオ・ピネイロ氏は過去4年間ビルマ訪問を軍事政権から拒否されてきたが、11月に許可を得て、訪問を実施した。  
 
9月の暴力的な弾圧に対する国際的な非難の一つが、軍政の実力行使への「嫌悪」を表明したASEAN(東南アジア諸国連合)外相会合での声明だった。米国は軍政幹部14人への対象を絞った金融制裁措置を実施した。EU(欧州連合)はビルマ制裁に関するコモン・ポジション(共通政策)を強化し、日本政府は援助案件を1件停止した。中国とインド、ロシアからの反応はなく、政府当局者が軍政とデモ参加者に自制を呼びかけたが、軍政の実力行使を非難する強い声明を出すことは拒否した。  
 
2007年を通して、ASEANはビルマへの批判を強め、同国の改革の遅さと、域内諸国との協議への消極性について強い苛立ちを表明した。しかし一方で11月にはビルマ政府にASEAN憲章への調印を許可した。  
 
EUはビルマ政府当局者を、5月のアジア欧州会合(ASEM)など多国間会議に引き続き招待した。これは、人権状況の改善がなければビルマ軍政当局者の参加を禁じるとしたEUのコモン・ポジションの条項に矛盾する。  
 
中国、インド、ロシア、ウクライナは多数の武器をSPDCに売り続けており、ロシアは5月に実験用原子炉のビルマへの売却を発表した。  
 
ビルマの自然エネルギーセクターへの対外投資は増加しており、天然ガス開発で中国、インド、韓国、タイとマレーシアの企業との契約が行われた。イェタグンとヤダナの両ガス田で採掘された天然ガスの売却は、2007年に軍事政権に推計21億6000万米ドルの収入をもたらした。  
 
国際労働機関(ILO)は2月に、2007年3月から1年間、強制労働の事例を報告するメカニズムを実施することで軍政と合意した。ILOは、7月、このメカニズムの存在にもかかわらず、ビルマでは強制労働がまだ広い範囲で行われていると発表した。  
 
子どもと武力紛争に関する国連事務総長特別代表であるラディカ・クマラスワミ氏が6月にビルマを訪問して、子ども兵の利用報告に関するメカニズムを設置するための合意を軍政から得た。



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