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エチオピア:オガデンにおける軍の処刑、拷問、レイプ

援助国は人道に対する罪の止めるための行動を

(ナイロビ2008年6月12日) –ヒューマン・ライツ・ウォッチは、本日発表した最新レポート で、エチオピア東部ソマリ地域における反乱組織との戦闘において、エチオピア政府軍が一般市民に対し、処刑、拷問、レイプを犯していると伝えた。残虐な対反政府軍軍事作戦は、戦争犯罪及び人道に対する罪に匹敵し、このように蔓延する暴力によって、人道危機の状況をもたらし、少数民族ソマリ遊牧民の生存が、数千人規模で脅かされている。

" これら蔓延する組織的残虐行為は、人道に対する罪に該当する。にもかかわらず、エチオピアの主要援助国、米国、英国の各政府及びEUは、沈黙を申し合わせているかのように見える。 "
ジョージェット・ギャクノン、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアフリカ・ディレクター
  

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2007年6月、反乱軍が中国経営の石油開発施設を襲撃したため、エチオピア政府軍は対反政府軍軍事作戦を開始した。130頁のレポート 『集団処罰:エチオピア・ソマリ州オガデンにおける戦争犯罪と人道に対する罪』 は、制御されることのない一般市民に対する暴力が、劇的に増加していることを記録している。今回のヒューマン・ライツ・ウォッチのレポートは、エチオピア政府が厳しく規制しているためこれまで実質的に知られることのなかった、同国での紛争における人権侵害のパターンを、詳しく伝える初めての報告となる。  
 
 「反乱に対するエチオピア政府軍の回答は、オガデンの一般市民に対する酷い攻撃であった。これら蔓延する組織的残虐行為は、人道に対する罪に該当する。にもかかわらず、エチオピアの主要援助国、米国、英国の各政府及びEUは、沈黙を申し合わせているかのように見える。」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアフリカ・ディレクター、ジョージェット・ギャクノンは述べた。  
 
 ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員が、見つけ出してインタビューしたのは、隣国ケニア、北ソマリアの準自治地域ソマリランド及びエチオピアに滞在していた100人以上の人権侵害の被害者、目撃者や、商人、ビジネスリーダー、地方政府役人である。調査の大部分は2007年9月から12月に行われ、その後衛星画像によって、いくつかの村落が焼き討ちにあったことが確認されている。証人や被害者がヒューマン・ライツ・ウォッチに語った身の凍るような話によれば、人々は夜間に銃身で殴打され、公開処刑され、或いは村ごと焼き払われる目にあってきた。  
 
 オガデン民族解放戦線(ONLF)は、2007年4月、オボレにある中国経営の石油開発施設を襲撃し、中国人、エチオピア人合わせて70名以上を殺害した。レポートはそれに対する政府軍の対応を記している。2007年6月から9月が、対反政府軍軍事作戦のピークであったが、その間、多くの証言が伝えるように、エチオピア軍は村落共同体全体を強制追放したり、何十もの村落を破壊した。さらには、少なくとも150人の一般市民を処刑し、ときには共同体にONLFを支援していると嫌疑をかけ、脅迫目的で公開処刑を行った。また数百人の一般市民を恣意的に軍舎に拘束し、そこで殴打、拷問の危害を加え、レイプなど性的暴力も広く行った。紛争の影響を受けている地域の人々は、数千人が隣国へ避難している。いくつかの暴力行為のパターンは今も継続しており、レポートに記録されたものは、人権侵害の実際規模のわずか一部でしかないと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは見ている。  
 
 エチオピア当局はまた、地方民兵軍の強制徴集を強化しており、多くが軍事訓練も受けずにONLFとの戦いに送られ、死亡率の増加につながっている。  
 
 反乱軍のONLFもまた、戦争関連法の深刻な違反を犯している。2007年4月のオボレ石油開発施設襲撃における中国人及びエチオピア人の略式処刑、政府協力者と疑われる者の殺害などは、戦争犯罪である。  
 
 紛争地域に住む多くの一般市民は遊牧生活をしており、牧草の生育する土地を求めて移動し、また家畜を売りに地域の市場へ行く必要がある。2007年中頃からエチオピア軍は、紛争地域の経済封鎖、水・食糧供給制限、牧草地へのアクセス制限、家畜や商品の没収、人道支援の妨害など、ONLFへの経済支援を絶つ目的で、さまざまな方策を実行してきている。長引く降水量不足による干ばつもあいまって、この「経済戦争」が何千人もの一般市民の生命を危機にさらし、さらに多くの人々は、政府の食糧分配工作によって、食糧援助も受けられない。  
 
 「エチオピア政府が一般市民を攻撃し、経済封鎖をし、援助を制限していることは、数万人の人々に違法な集団処罰を科していることに当たる。人道支援団体が、ただちに地域に入って人道援助のニーズを独立して査定し、食糧供給を監視しないと、さらに多くの命が失われることになる。」とギャグノンは述べた。  
 
 エチオピア政府はヒューマン・ライツ・ウォッチの要請を無視して紛争地域へのアクセスを認めなかっただけでなく、同地域からの情報流出を阻止しようとしている。独自に調査を試みた、外国人ジャーナリスト数人は逮捕されており、また住民や目撃証人たちは、口封じに脅迫を受けたり、拘束されたりしている。エチオピア政府は、2007年7月、国際赤十字をソマリ州から追放した。但し、その後、いくつかの国連機関やNGOの活動を、厳しい統制下におきながらも許可している。  
 
 本レポートは、継続する人権侵害に対するエチオピア政府と国際社会の対応を分析している。エチオピア政府は、捜査し責任の所在を明らかにすべきであるのに、人権侵害の容疑を否定し続けている。援助国は、エチオピアに相当額の経済援助をし、同地域の反テロリズム対策支援を行っているにもかかわらず、人権についてアカウンタビリティを求めることを怠っている。  
 
 米国、英国、EUなどの西側諸国から、エチオピアは少なくとも年額20億USドルの援助を受け取っているが、オガデン地域における広範な人権侵害について、援助国は沈黙を保っている。米国政府はエチオピアを、地域の反テロリズム対策の主要なパートナーと見ているが、軍事援助を含む同国の影響力を行使して、犯罪を終わらせようとはしていない。  
 
 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、主要援助国に対し、エチオピア政府に暴力行為を停止するよう迫ることを求め、以下を要請した。  
  • 米国政府はエチオピア政府軍による人権侵害の報告を調査し、関わった部隊を同定すること。米国の「リーヒ法」が、不処罰のまま人権侵害を継続している外国の部隊を、米軍が援助することを禁止していることに従い、エチオピア政府が、責任を負う者に法の裁きを与えるための実効的な方策をとらない限り、米軍は、そうした部隊に援助与えたり訓練をしたりしないことを確保すること。  
  • 英国政府とEUは、人権侵害を非難し、公にエチオピア政府に対し、ソマリ州における犯罪を調査するよう求め、文官及び軍人の責任を問い、開発資金が軍事行動に使われないよう監視すること。
       
       
      「影響力を持つ国々は、情報がないとか、戦略が優先するとか、言い訳をして、ソマリ州の重大な人権問題を矮小化している。人道に対する罪は、うやむやにして隠せるものでない。援助国は、このような人権侵害が停止され、罪を犯したものが裁かれるまで、エチオピア政策を再考すべきである。」とギャグノンは語った。  
       
       以下はレポートより、証言の抜粋である。  
       
      「兵士たちは、ラヘロウを焼き払って、アレエンにやってきた。アレエンも焼いてしまった。そのとき、私たちはそこにいた。兵士たちは到着すると、家から出るように言って、みんなを一カ所に集めた。それから司令官の命令で、村に火が放たれた。こういう小さな村から出るように言ってあるはずだ、と司令官は言って、私たちを追い払った。村にある家はすべて、焼き落とされた。もともと小屋のような家だから、簡単に燃えてしまったんだ。」(村人、2007年9月23日)  
       
      「ぼくはほかの二人、ハサン・アブディ・アブドゥライとアーマド・ガニ・グーレドといっしょに連れて行かれた。最初にやつらは、二人の首にロープをまきつけ、両方から引っ張った。二人は倒れた。二人を窒息させ、ぼくは溝に連れて行かれた。ひとりの兵士が、銃を掃除するのに使う金属棒を(ぼくの喉に押しつけ)、ぼくを窒息させようとした。ぼくはやつの指を捻って、逃れた。でも、もう二人の兵士がやってきて、ロープをぼくの首にかけ、引っ張り始めた。そこから先は覚えていない。ぼくは溝で息を吹き返した。すでに死んでいるアーマド・ガニ・グーレドが、裸でぼくの上に横たわってた。ぼくは動けなかった。水溝にやってきた女の人たちがぼくを見つけてくれた。」(リドワン・ハッサン・サイード、2007年10月30日)  
       
      「やつらは、私のことを、AK47の銃底で殴り始めた。まず顔を殴り、それから打ち続けた。銃底がわたしの歯にあたり、歯が折れた。それから、エンジンベルトで私の背中や脚をたたき始めた。それが1時間以上続いた。さらに、やつらは私の足を縛って天井からロープで逆さに吊し、白状しろと言って、叩き続けた。2ヶ月間、これが日常となった。夜になると部屋から連れ出され、叩かれ、拷問された。」(30才、商店経営、2007年9月20日)  
       
      「彼らは私たちを脅すために、二人の少女をONLFの強力な支持者だと言って、連れ出しました。私たちの前で、二人を殺したんです。先に、白状しろ、そうしないと殺すと、迫りました。その上で銃で二人を撃ったのです。二人は、ファドゥマ・ハッサン、17才、サムサム・ユスフ、18才、学生でした。」(学生、2007年9月23日)  
       
      「コリレイに井戸があるけれど、鉄線で囲まれている。軍隊は我々が使うことを禁止しているから、夜にそっと入るんだ。今年になってこういうことが、強いられるようになった。夜の間に入って行って、何とか水を家に蓄える。もし兵士に見つかったら、殺されるかもしれない。」(村人、2007年9月22日)  
       
      「もし、(連邦政府が)法を守るならよいが、政府は自ら制定した法すら、守らない。」(元・州裁判所裁判官、2007年12 月5日)  

       

       
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