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ミャンマー:軍隊がロヒンギャ、ラカインを標的に

ラカイン州で文民殺害、大規模放火、違法な徴兵

バングラデシュ・コックスバザールの難民キャンプにて、ミャンマー・ブティダウンから逃れた家族、2024年6月25日。 © 2024 Mohammad Ponir

(バンコク)ミャンマー国軍と抵抗勢力のアラカン軍は、この数カ月にわたりミャンマー西部ラカイン州で、ロヒンギャやラカインなどの文民に対して超法規的殺害や大規模な放火を犯した、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表した。国軍によるロヒンギャの男性や少年の違法な徴用により、ロヒンギャ・ムスリムのコミュニティとラカイン仏教徒コミュニティとの緊張が高まっている。

2024年4月から5月にかけて、国軍と、共に戦う複数のロヒンギャ武装組織、そして進撃するアラカン軍のすべてが文民への残虐行為を行った。5月17日、アラカン軍がブティダウン郡区に残存する国軍の拠点を制圧すると、部隊はブティダウン市街と近隣村落のロヒンギャ居住区への砲撃、略奪、砲火を行った。これによりロヒンギャ数千人が避難した。衝突はその後西のマウンドーへと移った。ここではこの1週間で戦闘が激化しており、ロヒンギャ住民、特に子どもや女性、高齢者の殺害やその他の人権侵害行為が報告されている。すべての紛争当事者は、違法な攻撃を停止し、ヘイトスピーチを止め、困窮する人びとが妨害を受けずに人道支援にアクセスできるようするべきだ。

「ミャンマー国軍とこれに敵対するアラカン軍が犯している残虐行為の矢面に立たされているのは、ロヒンギャとラカインの文民だ」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長エレイン・ピアソンは述べた。「双方ともヘイトスピーチを使い、文民を攻撃し、砲火を行って人びとを家や村から追い出そうとしており、民族浄化が生じかねない」。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、人権侵害の被害者と目撃者であるロヒンギャとラカインの33人にインタビューを行うとともに、衛星画像、公開情報、個人撮影の動画や画像、また医療記録を分析した。

ラカイン族の武装組織であるアラカン軍は、ミャンマー国軍とラカイン州の支配権を巡って2018年後半から激しい戦闘を続けている。国軍とアラカン軍との戦闘は2023年11月中旬以降に激化し、1年間におよんだ非公式停戦は崩壊した。アラカン軍がラカイン州全域で急速に支配地域を拡大するなか、国軍はヘリコプターからの攻撃、砲撃、地上攻撃による無差別攻撃で対抗した。Armed Conflict Location and Event Data Project (ACLED)によると、2023年11月から2024年7月にかけて、国軍は全国で1,100回以上の空爆を行ったが、その2割以上がラカイン州だった。

4月までに、ムスリムが住民の大半を占め、24万人ほどのロヒンギャが暮らすブティダウン郡区とマウンドー郡区での戦闘は激化した。衛星画像分析、目撃者証言、地元メディアの報道によると、4月中旬に、国軍の部隊と複数のロヒンギャ武装組織が、ブティダウンの町周辺のラカインの村落や町内のラカインの居住区を砲火した。

4月下旬、アラカン軍はブティダウンの東にあるロヒンギャの村落への砲火を始めた。ヒューマン・ライツ・ウォッチが分析した衛星画像と熱温度データによると、ブティダウン郡区では40以上の村落や集落が、4月24日から5月21日にかけて、火災により一部または完全に破壊されたことが明らかになった。火災により、ロヒンギャが大半を占める中心市街地を含む郡区全域で、数千棟の建造物が破壊された。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ブティダウンの各地で火災による破壊のパターンが一致していることから、これらの攻撃はすべて意図的なものであると結論づけている。

Fire damaged villages and hamlets in Buthidaung township documented by Human Rights Watch during the arson attacks in April and May 2024. Analysis based on satellite imagery and thermal anomalies. Analysis and graphics © 2024 Human Rights Watch. Village data © Myanmar Information Management UNIT (MIMU). Military data © Open StreetMap contributors and ASPI.

住民によると、アラカン軍の兵士は、5月17日の夜にブティダウンの町に火を放ち始めたが、与えていた警告はその翌日の午前10時までに立ち退けというものだった。近隣の村落から避難してきた数千人のロヒンギャは、ブティダウンの中心市街地にある学校や民家、病院に身を寄せていた。目撃者によると、放火や砲撃、銃撃は、戦闘が起きていないのになされていたという。

「戦闘は一切なかったのに、アラカン軍が町を包囲しました」と、ブティダウン第2区から逃げた男性は述べた。「彼らは重火器を発射し、同時に家屋に火を放ち始めたのです。みな命からがら逃げ惑い、高齢者や子供たちは燃え盛る家屋に取り残されました。まさに『地獄絵図』でした」。

ブティダウンの制圧により、推定7万人の人々が住むところを失った。大半はロヒンギャで、さらなる攻撃を逃れて西や南に逃れた。アラカン軍は、ブティダウンにあるミャンマー国軍の拠点制圧を5月18日に完了したと発表した。衛星画像によると、砲火は一帯で5月21日まで、人びとの避難経路をたどるようにして続いた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチはまた、SNSに投稿されるか、個人的に共有された動画と画像も確認している。それらには4月から5月にかけて破壊されたブティダウンの家屋や大勢の人びとが逃げ惑う様子が映っている。

Main areas damaged by fire across wards in Buthidaung town and its outskirts. Analysis based on satellite imagery and thermal anomalies.  Analysis and graphics © Human Rights Watch. Ward data © Myanmar Information Management UNIT (MIMU).

ロヒンギャの人びとは、国軍とアラカン軍の板挟みになり、どちらかの側につくよう強要されたと話す。国軍は、ロヒンギャ武装組織の支援を背景に、ラカイン州とバングラデシュの難民キャンプからロヒンギャ人成人男性と少年数千人を不法に徴用し、ロヒンギャの人びとに対してアラカン軍への官製抗議デモへの参加を強制している。こうしたやり方によって、ロヒンギャとラカインの関係が悪化し、オンラインとオフラインの両方でヘイトスピーチや偽情報が拡散している。

アラカン軍は、ロヒンギャの文民を攻撃していないとし、十分な事前警告は与えており、5月17日~18日にかけての火災の原因は軍政側の空爆とロヒンギャ民兵にあると主張する。アラカン軍はヒューマン・ライツ・ウォッチ宛の8月5日付書簡で、「私たちは文民への違法な攻撃や砲火を容認したり、関与したりすることはない」とした。

国際人道法は、文民や民有物(家屋、学校、病院など)に対する意図的かつ無差別な攻撃を禁じている。超法規的殺害、死体損壊、子どもの徴用、略奪、放火はすべて戦争犯罪として禁止されている。交戦当事者は、文民被害を最小限に抑えるためにあらゆる実行可能な予防措置を講じ、攻撃目標が軍事目標でないことが明らかになった場合は攻撃を中止し、状況が許さない場合を除き、有効な事前攻撃警告を発さなければならない。

ミャンマー国軍とアラカン軍は、ラカイン州への独立した国際調査団と人道支援機関のアクセスを早急に許可すべきだと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。

「軍事政権とアラカン軍は、戦闘下での文民と民有物の保護について直ちに措置を取るべきだ」と、前出のピアソン局長は述べた。「紛争当事者に影響力を持つ各国政府は、強硬な姿勢で臨むべきだ。さもなければ再び民族浄化の事態に直面することになるだろう」。

被害者と目撃者の身元を保護するため、氏名は伏せたり、仮名に置き換えたりしている。

ラカイン州の危機

2017年、75万人以上のロヒンギャが、ミャンマー国軍による人道に対する罪とジェノサイド行為から逃れた。それから7年後の今日もこの地域では武力紛争が続いている。ロヒンギャ約63万人が現在もラカイン州でアパルトヘイト体制の下で暮らしており、再開した戦闘において極めて脆弱な状況に置かれている。

2021年2月のクーデター以来、ミャンマー国軍は全土で人道に対する罪や戦争犯罪を犯している。治安部隊はロヒンギャへの迫害を続け、「無許可移動」を理由にロヒンギャ数千人を拘束し、ロヒンギャの難民キャンプや村落には新たな移動制限を課し、支援物資を認めていない

2023年11月に再開した今回の戦闘では、ラカイン州とチン州南部では推定31万人が住むところを失った。しかし、軍政はラカイン州全域で文民への人道支援の遮断を強化し、人びとの生命を危険にさらしている。これは国際人道法に違反する集団的懲罰の一形態だ。治安部隊は幹線道路や水路を封鎖し、医療品の輸送を禁止し、医療施設を攻撃している。インターネットや通信の遮断に関するデータや市民社会組織からの報告によると、2024年1月10日から5月31日にかけてラカイン州ではインターネットがまったく利用できなかった。こうした制限は、文民を孤立させ、恐怖を与えることで地域を支配しようと国軍が長年行ってきた「4つの分断」戦略の延長である。

不法な強制徴用、高まる敵対関係

国軍は強制徴用やその他の搾取的な戦術を通じて、ロヒンギャとラカインのコミュニティ間の緊張を高めている。そのやり方は2012年の民族浄化作戦の時に似ていると、ヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘した。

3月下旬には、国軍はロヒンギャにブティダウン郡区とシットウェ郡区でのアラカン軍に対する抗議活動への参加を強制した。拒否すれば家屋を焼き払い、砲撃を加え、あるいは拘束すると脅迫したのだ。国連人権高等弁務官事務所は、国軍が抗議行動を組織したのは「コミュニティ間の緊張を煽ることで、ラカイン州を自らの利益のために不安定化させることが目的である可能性が高い」との報告を発表した。

国軍は2010年の人民服務法を2月に発動してミャンマー国民の徴兵を可能にした。長年にたり市民権を認められず、外国人扱いされてきたロヒンギャは、徴兵作戦の最初のターゲットとなった。

治安部隊は、夜間の家宅捜索、強要、市民権を与えるという虚りの約束や、逮捕・拉致・暴行をすると脅したりして、ロヒンギャの成人男性と少年とを何千人も拉致し、強制的に国軍に徴用した。国軍は人権侵害的な内容の2週間の軍事訓練に強制徴用した新兵を送り込み、それから最前線に配備した。新兵には負傷者が出ている。地元メディアは4月下旬、国軍がロヒンギャ5,000人を徴用して軍事訓練を受けさせていると報じた。

ティンシャーピン村のユスフ氏は、3月下旬のある日の午前3時頃、30数人のロヒンギャとともに、国軍兵士によって強制徴用されたと語った。「国軍は私たちにアラカン軍との戦いに参加するよう求めています。7年ほど前、2017年には私たちの母親や姉妹たちに無残な仕打ちをしたのにです」とユスフ氏は述べた。「進んで参加した人など皆無です」。ユスフ氏は駐屯地で1,000人以上のロヒンギャ徴用兵を目撃したと述べた。彼は2ヵ月にわたりブティダウンの前線に配属されていた。

100万人のロヒンギャ難民がキャンプで暮らすバングラデシュでは、3月中旬から6月初旬にかけて複数のロヒンギャ武装組織が少なくとも難民1,800人をミャンマー軍政当局の代理として強制徴用し、ラカイン州に密入国させている。難民キャンプのある「マージ」(=コミュニティリーダー)によると、こうした武装組織の一つロヒンギャ連帯機構(RSO)は、マージたちに、キャンプのブロックごとに青年男性25人を無理矢理リストアップさせようとした。

あるロヒンギャ難民によると、5月4日にRSOのメンバーが息子(15歳)と甥(17歳)のほか、若い成人男性や少年20人ほどをミャンマー側に連れ去った。「悲しみのあまり食事も喉を通りません」と、この男性は述べた。「息子を返してほしい。まだ若くて戦争のことなど何一つわかっていないのです」。

ロヒンギャ側は、強制徴用によってラカインのコミュニティとの敵対感情が煽られ、ロヒンギャはアラカン軍の標的になっていると指摘する。「私たちの村では若い男性5人が徴兵を理由に国軍から強制的に連れ去られました」と、5月初旬に襲撃されたナンヤーコン村の住民は述べた。「おそらくこれが原因となって、アラカン軍は私たちの村を報復として攻撃したのでしょう」。

3月から4月にかけて、アラカン軍関係の複数の公式SNSアカウント(トゥアンムラットナイン司令官のものなど)はムスリム・ロヒンギャを「ベンガリ」(ベンガル人、ベンガル系という意味)と呼んだ。これは、国軍が彼らを外国人とレッテル貼りするために長年使っている蔑称である。ラカインとロヒンギャの両方のアカウントで偽情報やヘイトスピーチが拡散されている。

「ブティダウンでの最近の衝突の前は、私たちの(アラカン軍との)関係はそれほど悪くはありませんでした」と、ティンシャーピン村のサデク氏(19)は述べる。「今回の衝突後、彼らは私たちの家を略奪し、家財すべてをトラックに積み込んで持ち去ったのです」。

ティンシャーピン村の別の住民は、5月14日に村が襲撃されたとき、アラカン軍の兵士からこう言われたと話す。「『貴様らは息子を国軍に送り込み、我々を殺すために訓練している。国軍は貴様らの父親というわけだ。国軍が来て守ってくれるんだろう? 貴様らはこの地域に住む権利はもはやない』そう言うと、彼らは家屋に火を放ち始めたのです」。

4月から5月にかけての暴力

ヒューマン・ライツ・ウォッチが確認した衛星画像、目撃者の証言、地元メディアの報道によると、4月11日から20日にかけて、国軍とロヒンギャ武装組織が、ブティダウンの町とその南部の村落にあるラカインの居住区5つを略奪、放火した。市街地では、4月11日から17日にかけて、第2区、第3区、第4区、第5区、第6区、第7区のラカイン、ヒンズー教徒、カミ人が主に居住する地域で放火による家屋の焼失が発生した。第4区が最も被害が大きかった。衛星画像で確認できる被害状況は、数日間にわたって市街地のさまざまな場所で発生した多数の火災によるもので、意図的に火がつけられたことを示している。4月15日には国境なき医師団(MSF)の事務所と薬局が焼き打ちされた

Satellite imagery from April 27, 2024, showing the main burned areas in wards 4 and 5 of Buthidaung town during the arson attacks from April 11-17. © Planet Labs PBC. Analysis and graphics © Human Rights Watch.

ブティダウンの村に住むラカインの男性(26)はこう述べた。

[ロヒンギャ・]ムスリムはSAC(国家行政評議会=軍政)と結託してラカインの村々を破壊し、あらゆるものを住宅から略奪しました。ムスリムたちは集団でやって来ました。SACの軍隊は少なくて10人か20人ほどでしたが、ムスリムは100人以上、いや200人近くいました。彼らは私たちの仏教の宗教施設を破壊しました。彼らは住宅に押しると、好き放題に物を盗ってトラックに積み込むと、最後に家に火をつけました。彼らは逃げる私たちを銃撃しました。

5つのクリップで構成された13分の動画が「民主アラカンの声」のアカウントから5月26日にFacebookに投稿された。この動画は移動する車両から撮影されており、3区から始まって、最初の5分間は3区と6区の道路の両側に完全にまたは一部破壊された建物が映っている。4月27日に撮影された衛星画像によると、この動画で撮影された建物のほとんどは4月の攻撃で破壊されている。

4月24日にWestern NewsがFacebookに投稿した一連の画像のうち1つには、空を覆う黒煙が映っている。当初、Bellingcatが位置情報を特定し、ヒューマン・ライツ・ウォッチが確認したこの画像は、画像のタイムスタンプによると4月14日に4区にあるブティダウン大通りの南で撮影されたものである。

ブティダウンで軍政の部隊を撃退したアラカン軍は、同時に周辺のロヒンギャ居住区への焼き討ちを開始した。4月下旬から5月上旬にかけて、マユ川東岸にある主にロヒンギャが住む村やあばらやが炎による被害を受けた。10数ヵ所の村落で煙や火災が確認された。

ダピューチャウン村に住むイブラヒムさん(28)は村への攻撃で重傷を負った。

アラカン軍が無差別銃撃やドローン攻撃を行い、多くの村人が命を落としました。私は家のポーチで寝ていました。すると突然、隣家に爆弾が落ちたのです。飛んできた破片で顔に重傷を負いました。隣家に住む6人全員(両親2人と子供4人)、そして避難していた5人が亡くなりました。村の攻撃から数日後、アラカン軍は国軍の第15軍事作戦司令部(MOC)を制圧しました。アラカン軍は私たちの村も焼き払いました。

アラカン軍は、2週間にわたる戦闘の末、5月2日にブティダウンの町から東に約6キロの第15軍事作戦司令部(MOC)を制圧したと発表した。数日後、軍政軍はブティダウンの町にとって東からの主要な入り口となっている橋を爆破した。

ダピューチャウン村は、軍事作戦司令部から500メートルと離れていない。5月初旬に撮影された衛星画像にはこの村が他の集落とともに完全に焼失した様子が映っている。

Satellite image from April 25, 2024 Satellite image from May 6, 2024

April 25, 2024: © 2024 Planet Labs PBC. May 6, 2024: © 2024 Planet Labs PBC.

Infrared satellite image comparison between April 25 and May 6, 2024, showing all the structures in Da Pyu Chaung village in the Buthidaung township reduced to ashes. On infrared images, the vegetation appears in red and the burned areas in darker colors.

アラカン軍兵士がウーフラペイとイウェニョタウンで家屋を焼き払うのを目撃したラカインの村民によれば、アラカン軍は今回の攻撃をアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)に対する「掃討作戦」と称していると述べた。

4月下旬から5月初旬にかけての攻撃から逃れたロヒンギャの人々は、ブティダウンの町にある川の対岸に避難した。ラカインの大半がすでに町を離れていた。攻撃や戦闘から逃れるためか、あるいはアラカン軍によって避難を命じられたのである。

5月17日~18日

ロヒンギャの人びとによれば、アラカン軍の兵士は5月18日の朝までにブティダウンの町を離れるよう警告したが、その前夜から家々に火を放ち始めた。「アラカン軍の兵士たちは、明日午前10時までに町を出よとの最後通牒を突きつけてきました」と、5月17日の夜に電話インタビューに応じたロヒンギャ(28)の男性は語った。「しかし、彼らはいきなりやってきています。私たちにすぐに出て行けと言い、あらゆる家に火を放ち始めました。一帯は火の海です」。

第2区に住む男性(85)は、息子がアラカン軍の兵士との会合に出席すると、ロヒンギャは5月18日午前10時までに家から出て行くよう通告されたと述べた。「でも、彼らは5月17日夜10時頃にやって来ました。村人が翌朝の出発に向けて慌ただしく食事の準備や荷造りをしているところに発砲し、家々に火を放ち始めたのです」。

ロヒンギャの人びとはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、アラカン軍の兵士はブティダウンの町中の建物に火を放ち、砲弾を発射するとともに、逃げ遅れたり、逃げたくても逃げることのできなかったりした村人たちを銃撃し、家屋を略奪したと述べた。「彼らは、中に人がいる家でも躊躇せずに放火しました」と、第1区に住むカビールさんは言う。「放火が始まったのは夜9時ごろでした。私たちはそのときまだ家にいました。彼らは迫撃砲を民家に撃ち込んで、村のモスクを燃やしたのです」。衛星画像によると、7区すべてで火災による被害が発生しており、特に第1、第2、第3、第6区で被害が甚大だった。

Satellite imagery from July 15, 2024, showing the main burned areas in wards 1 and 2 of Buthidaung town during the arson attacks from May 17–18.  © Planet Labs PBC. Analysis and graphics © Human Rights Watch.

目撃証言によると、ブティダウン総合病院、第1区のモスク1ヵ所、第2区のゲストハウス1軒、政府の建物、高校を含む学校、そしてすでに家を失った何千人ものロヒンギャが身を寄せる建物が迫撃砲やドローンの攻撃を受けた。4月下旬以降に撮影された衛星画像では、第1区にある基礎教育高校の校庭に新しいテントや避難所が設置されているのがわかる。

5月17日には、環境衛星によって7区すべてで熱異常が検出された。5月18日の衛星画像では、熱異常が火災によることと、破壊された地域は4月の攻撃では被害を免れたロヒンギャ居住区であることが確認された。第1区の基礎教育高校や第2区のブティダウン総合病院の周辺にある住居やその他のインフラが破壊された。第6区のブティダウン市場も被害に遭った。

ファテマさん(22)は第4区で家族10人と暮らしていたが、うち6人が5月17日に殺害された。午後8時頃に自宅が放火されたため、彼女は夫と2人の子どもと家を逃げ出した。しかし、義理の父(70)を含む5人の家族は2階に取り残された。「私たちはまず家から逃げ出してずっと待っていたのですが、ついに出てこなかったのです」。アラカン軍の兵士が逃げ惑う大勢の村人たちに銃撃を始めたと彼女は言う。「彼らはいきなり群衆に向かって銃撃を始めました。義理の兄は銃撃で命を落としました。私たちは皆、自分の命を守ろうと逃げていたので、彼の遺体を連れて行くことはできなかったし、遺品を回収することもできませんでした」。

ファテマさんは、逃げ惑うさなかに10~12人が射殺されたのを目撃したと語った。その中には少年も1人いた。「その子の母親は息子を道端に置いていかなければなりませんでした」。

「アラカン軍は、私たちが遺体を引き取ることを許しませんでした」と、カビールさんは述べた。

目撃者たちは制服と記章でアラカン軍の兵士であることを確認しており、ラカイン語の会話も聞いたと語る。

ブティダウンの南にある村々でも焼き討ちが行われた。ティンシャーピン村の住民は、その数日前にラカイン軍の攻撃があり、砲弾が撃ち込まれ、家屋が焼き払われたと話す。サデクさんによると、5月17日夕方に攻撃が再開され、午後9時半頃に自宅も襲われたという。両親が夕食を食べ終わるまで彼は近くの店に行っていた。「突然、自宅に何発もの迫撃砲弾が撃ち込まれ、火に包まれました」と、サデクさんは話す。「その店から自宅が燃えているのが見えました。完全に燃えてしまうのが見えたのです」。

サデクさんは他の村人たちと一緒に逃げた。「逃げる途中に15体ほどの遺体が散らばっていました。死体は布で覆われていたので誰だか分かりませんでした。アラカン軍の兵士たちが死体の周りにいたので死体に近づくことはできませんでした。家族がまだ生きているかどうかもわかりません」とサデクさんは述べた。ティンシャーピン村の別の村民はいとこ(16)が殺されたと話していた。

5月18日の衛星画像では、ティンシャーピン村の南側から100m以内の地点に、衝撃によってできた直径約2.5mのくぼみが少なくとも3つ確認できる。村の隣にある畑には人影が見え、ティンシャーピン村とドネチャウン村を結ぶ道路沿いには大型車両が停車していた。

5月18日、アラカン軍はブティダウン町を占領し、すべての軍事拠点を制圧したと発表した。

国連はロイター通信に対し、攻撃と直後の混乱で少なくとも45人のロヒンギャが死亡したと伝えている

町からの脱出

5月17日の夕方、数千人のロヒンギャがブティダウンの町から逃げ出した。東側から町に入る主要な橋が破壊されたため、人びとは町の西側と南側に逃げるしかなかった。

Screenshot from one of the 13 videos Human Rights Watch received from a source, filmed along the Buthidaung-Maungdaw Road near Buthidaung jail between 10:37 p.m. on May 17 and 5:46 a.m. on May 18, according to the metadata. The videos show hundreds of people – men, women, and children, including a woman using a wheelchair – traveling in the dark along the road with their belongings in the opposite direction of the red, smoke-filled sky. © 2024 Private.

火災の被害を一部受けた第5区、またはブティダウン刑務所の外で大勢が立ち往生した。「アラカン軍はロヒンギャが第5区に留まってもよいが、マウンドーに逃げることは認めません」と、倉庫に避難している男性は述べた。「まるで監禁です」。

「アラカン軍の兵士は命令に従わないと処罰すると言っています」と、別の男性は述べた。

町から西に逃げた人々は、アラカン軍に制圧された複数の拠点から撤退する軍政の部隊と合流した。1つは5月17日の激しい戦闘により制圧されたブティダウンの戦術作戦司令部である。目撃者によると、国軍部隊を制圧するために、アラカン軍の兵士が文民に発砲し、家屋に火を放ち始めた。兵士の一部は街道に沿って戦闘を続けた。

アーメドさん(21)は、戦術作戦司令部の近くにあるタットミンチャウンに逃げた。

現場は大混乱でした。国軍が先に逃げ、私たちは両軍のあいだに置かれました。逃げ遅れた村人の多くは、アラカン軍に殺されたり、捕まったりしたのです。私は肩を1発撃たれました。私たちは田んぼのなかを走って逃げましたが、目の前で人が殺されていきました。銃弾に当たった人もいれば、砲弾で吹き飛ばされた人もいました。森に到着した後、振り返って見ると、村とTOCが燃えていました。

サデクさんはティンシャーピンからタットミンチャウンに逃げてきた。「その夜、アラカン軍の兵士の一団が家に火をつけて回り、迫撃弾を撃ち込んできました」とサデクさんは述べる。「翌日、彼らは私たちを呼び出すと、国軍に徴兵されたか国軍とつながりがあると言って村人を拘束し始めたのです」。サデクさんも攻撃中に銃撃された。「私は片手で傷を押さえながら、田んぼのなかに人が大勢いるところまで走っていきました」。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、バングラデシュのコックスバザールの病院でサデクさんの医療記録を検証した。胸部に銃弾1発が残っていることを示すX線画像も確認した。5月24日のカルテには「7日前、右胸部に銃弾が撃ち込まれた。入口の傷が1つ、出口の傷はない」と記載されている。

ファテマさんは午前2時半頃、逃れてきたロヒンギャの住民とともに戦術作戦司令部に到着したところ、アラカン軍の兵士たちに尋問されたと語った。「彼らは群衆の中にミャンマー国軍の兵士がいるかどうか尋ねました」とファテマさんは言う。「私たちはいないと答えました。ひとりもいなかったからです。しかし、彼らは若者を数人選んで、彼らが軍とつながりがあるとか、あるいは軍の徴集兵だと言い出しました。兵士たちは彼らを蹴ったり殴ったりして基地の中へ連れて行きました。私たちはそこから先に進めなかったので、一晩中そこにいました」。

2人の証言者は、西に逃げていく途中に斬首された人々の死体を目撃したという。なかには少なくとも2人の子どももいたという。「ターマイカリ(タットミンチャウン)に到着したとき、母親が自分の膝の上に子供を乗せていましたが、母親も子供も首をはねられていたのを見ました」とユスフさんは述べた。「その後、斬首された10代の少女も見ました。全員がモスクの東側の道路脇に横たえられていました。また、茂みの中に女性や子どもを含む数千人の村人がいるのも見ました。村の入り口では子どもたちが泣き叫び、家が4軒燃えているのも見ています」。 国連人権高等弁務官事務所は少なくとも4人が斬首されたことを確認している。

5月18日午後1時42分に撮影された衛星画像には、タットミンチャウンの東約350メートルの田んぼに、大きなプラスチック製シートを運んでいるらしき大勢の人びとが写っていた。

Satellite image recorded early afternoon of May 18, 2024, showing crowds of people next to Tat Min Chaung village. Crowds of people carrying their belongings were also visible, reported to be taken a few hours before, next to Buthidaung jail on a video geolocated by open-source investigators, geoconfirmed with help from Asia Intel and Myanmar Witness, and corroborated by Human Rights Watch. © 2024 Private. Satellite image © 2024 Maxar Technologies. Source: EUSI. Analysis and graphics © Human Rights Watch.

タットミンチャウンと周辺の村々には火災の痕跡が見られる。この画像では、ブティダウン戦術作戦司令部の至る所に衝撃によってできたくぼみが確認できる。

衛星画像によると、5月17日から21日にかけて、ブティダウンの町から南および北西に位置する村がこの他にも17ヵ村ほど焼失した。その位置はタットミンチャウンやティンシャーピンなどの地域を含む、市街地や周辺の村々から人々が逃げ出したルートをなぞっている。

Satellite image from May 16, 2024 Satellite image from May 22, 2024

May 16, 2024: © 2024 Planet Labs PBC. May 22, 2024: © 2024 Planet Labs PBC.

Infrared satellite image comparison between May 16 and May 22, 2024, showing more than 70 percent of the structures in Tat Min Chaung village in Buthidaung township destroyed by fire. On infrared images, the vegetation appears in red and the burned areas in darker colors. 

南に逃げた数千人は、外出禁止令や移動制限、限られた支援のもと、セインニインピャーにある学校や仮設キャンプに避難した。「食べるものがないのに家族はどうやって生きていけるというのでしょうか」と、ユスフさんは述べた。彼はバングラデシュに逃れたが、妻と子どもたち、母親、兄弟はブティダウンから出ることができていない。「人びとはほんとうになにもできず、きわめて悲惨な状況です。雨の日も晴れの日も屋根のないところで暮らしているのです。家族のことを思うとどこまでも涙が流れてきました。でももう涙も枯れ果てました」。

多くの人がバングラデシュを目指したが、道のりはきわめて厳しく、ごく一部の人たちしかたどり着くことはできなかった。バングラデシュ国境警備隊は1月以来、ラカインの庇護希望者の強制送還を強化している。「バングラデシュに向かう途中、私たちはひどい目に遭いました。食べ物もなく、休むこともできなかった」と、ファテマさんは言う。「私たちは柔らかい木の葉と水で飢えをしのいだのです」。

ダピューチャウン出身のイブラヒムさんは、バングラデシュ国境警備隊にボートを押し戻されてから入国地点が見つかるまでの2日間、両国を隔てるナフ川を漂流した。彼は1ヵ月後にバングラデシュに入国したが、顔とあごにひどい傷を負っていた。「何度も飢え死にしそうになりました」と彼の父親は語った。

サデクさんはジャングルを1週間かけて抜けてバングラデシュに到着した。「途中の村はすべて被害に遭っていました」と彼は振り返る「見つかったらどうしようと絶えずびくびくしていました」。

アフマドさんは銃撃で負傷しながらも6日間かけて山岳地帯を歩いたが、国境を越えることができなかった。「傷を治療してもらうためにはバングラデシュに行かないといけないのです」とアフマドさんは言う。「非常に困った状態です。マウンドーには医療施設がありません。国境は封鎖され、国境警備隊は増員されています。両親の所在は依然としてわかりません」。

援助物資と通信の遮断

軍事政権による人道的援助の意図的な妨害はますます深刻化し、何百万もの人びと生命が脅かされている。国連によると、ラカイン州では2024年初頭から推定で160万人が病院を利用できなくなった

国境なき医師団(MSF)は6月27日、ラカイン州北部での医療活動を全面中断せざるを得ないと発表した。「紛争の激化、無差別暴力、人道支援への深刻な制限」が理由だ。こうした事態によって、人々は「きわめて大きなニーズがあるにもかかわらずヘルスケアにアクセスできない状況」に置かれており、「医療システムの完全な崩壊」がもたらされている。ブティダウンの病院とマウンドーの病院は共に閉鎖された。

6月22日には、マウンドーにある世界食糧計画(WFP)の倉庫が略奪と放火に遭い、6万4000人分の1か月分の食糧と物資が失われた。

国連および人道支援団体は、医療へのアクセスが制限されていることで、栄養失調水系感染症が蔓延しており、治療可能な下痢の患者や妊婦も含めて、防げるはずの死者が増えていると報告している。「すべてのコミュニティで適切な一次および二次ヘルスケアが提供されておらず、私たちのチームはヘルスケアの欠如により命を落とす妊婦と胎児を目撃している」とMSFは述べた

「どうやって生きのびたらいいのか途方に暮れています」と、4月に家を失ったラカインの村民は述べた。「食べる物はありません。子どもは病気です。すぐに薬がいるんです。空爆や砲撃が怖くてたまりません」。

軍事政権は何カ月にもわたってインターネットや通話サービスを厳しく制限しており、情報へのアクセス、人道対応、攻撃の記録能力に深刻な影響が出ている。インターネット停止検出・分析(IODA)プロジェクトによると、ラカイン州では1月10日から5月31日までインターネットが完全に停止していた。ヒューマン・ライツ・ウォッチはまた、GPSJamというツールを使用して、ブティダウンとその一帯で、通信事業者に影響を及ぼす可能性が高い全地球測位衛星システム(GNSS)への妨害が何度も発生していることを明らかにした。

ロヒンギャの人々は、2022年12月の国連安全保障理事会決議や多数の国際的な要請に耳を貸さない軍政側の規制によってとりわけ被害を受けやすい立場にある。

2020年1月、国際司法裁判所(ICJ)は、ミャンマーに対し、ジェノサイド条約違反の申し立てについて判断を行うまでの間、ロヒンギャに対するあらゆるジェノサイド行為を防止するよう命じる暫定措置を課した。6月の報告書で、国連人権高等弁務官は「ロヒンギャを危険にさらす全当事者の行動は、国際司法裁判所が命じた暫定措置と矛盾していると見られる」との結論を示した。

7月10日、国連人権理事会は、ミャンマーにでのロヒンギャおよびその他の少数者に関する決議を採択した。この決議は「2024年5月17日にブティダウン郡区で発生した襲撃事件と、ロヒンギャ・ムスリムを標的とした継続的な攻撃を強く非難するとともに……、国際司法裁判所が命じた暫定措置を完全に遵守するよう、紛争のすべての当事者に強く求める」とした。

「抑圧され、スケープゴートにされ、搾取され、交戦当事者たちの板挟みになっているロヒンギャの人びとにとって、この状況は2016年と2017年のジェノサイド的な暴力につながる予兆を想起させるものだ」と、ミャンマーの人権状況に関する国連特別報告者は7月3日、人権理事会で述べた。

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