フランスはまだショックに覆われています。1月10日と11日、世界で数百万人がデモを行い、無実の17人の殺害への怒りを表明しました。この17人は、週刊の風刺新聞「シャルリー・エブド」で働いていたから、あるいはユダヤ人だからという理由で殺されました。警察官も犠牲になっています。全員が、イスラーム原理主義の武装組織と関係をもつフランス人の若い男性たちの凶弾に倒れました。たとえ犠牲者の葬儀と供花が終わっても、さまざまな感情の激しい高ぶりが収まるとは考えられません。
しかしすでに、私たちは考え始めるべきです。「これからどうなるのか。何をすべきだろうか」と。
いろいろな答えが返ってくるでしょう。そのあいだには矛盾もあるでしょう。短期的に「セキュリティ(治安・安全)」を重視する人もいれば、こうした若者がテロリズムに引き込まれる理由に対処するため、社会統合に力を入れるべきだという意見もあるでしょう。安全と連帯が両立しないと考えるのは間違いです。ともに必要です。治安は法に則って守られなければなりません。
過去数十年かけてバラバラになったフランス社会をどうまとめればよいか。その解決策を厚かましく提示するつもりはありません。しかし社会的つながりが断ち切られたことにより、若者の一部が - その数はますます増えているように思われます - 狂信的な教えに感化されやすい状況におかれていることを、おそらく説明してくれるでしょう。私たちの試みが成功するには、こうした社会的な病を悪化させるような対策は避けるべきです。
政府は人権の基本原則を遵守すべきです。相手に矛盾を突かれ、反論できない状況を作ってはいけません。マニュエル・ヴァルス首相は、911後のアメリカとは異なり、反動的な法律を用いたテロとの戦いは行わないと述べました。正しい発言です。
今後出てくる対策への警戒を怠ってはいけません。刑務所での隔離拘禁やインターネットでの暴力的な画像の検閲が言われていますが、拘禁や表現の自由に対する基本的な保障を危うくしかねないものです。さらに踏み込んだ提案も行われています。11月に成立したフランスのテロ対策法には、人権を侵害する条項が複数存在します。
フランス社会は、表現の自由、結社の自由、情報の自由、信教の自由といった基本的自由の後退を一切受け入れるべきではありません。もしそれを許せば、ここ数日で一気に表れた団結と連帯の精神は消え去ってしまうでしょう。
フランス政府は、自国が体現していると主張する価値観を全力で尊重しなければなりません。1月10日と11日の歴史的なデモが示したように、市民の側には愚かな暴力に対し、集団で暴力を用いずに向き合う力があります。私たちは民主主義を武器に、法、自由、教育、連帯、尊敬、正義を用いて、こうした暴力と闘うようにならなければなりません。