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Indian Prime Minister Narendra Modi attends the Quad leaders summit meeting in Tokyo, Japan on May 24, 2022. © Yuichi Yamazaki/Pool Photo via AP

宗教的少数派に対する組織的な差別

偽りの容疑による平和活動家や政府批判者の拘禁

表現の自由を弾圧するテクノロジーの利用

これらは当然、中国のことだと思うかもしれない。が、こうした人権侵害はインドでも同じように起きている。にもかかわらず、インドはおおむね国際社会から、「世界最大の民主主義国家」と認められてしまっている。

オーストラリアでは近ごろ、多くの政府高官、閣僚、州政府首相などが訪印し、主に貿易関係の促進に向けて、インドに気に入られようと攻勢に出ている。9月には、閣僚、ビジネスリーダー、学識者の代表団が参加する第5回豪印リーダーシップ 対話がデリーで開催される予定だ。二国間が距離を縮める過程で、はたして人権問題は取り上げられるのか。厄介な刺激物としてなかったことにされはしないだろうか。

昨年6月には、リチャード・マールズ豪国防相がインドを訪れ、ナレンドラ・モディ首相と会談した。政権交代以来初めてインドと行った高官レベルの会合だ。ある記者からインドの人権記録について質問された際にマーレス国防相は、「インドをジャッジするようなことはしない。[中略]インドは世界最大の民主主義国家だ。法の支配を尊重し、私たちと価値観を共有している」とぶっきらぼうに返した。

中国政府の影響力の増大に対する防波堤として設置された安全保障の枠組み「クアッド」は、インド洋/太平洋地域のオーストラリア、インド、日本、米国から成る。より密接な安全保障と貿易関係は、クアッドが民主的価値として優先するアジェンダの一環である。欧米政府は、貿易相手国としての中国に不信感を募らせていることもあり、インドを魅力的な代替市場とみなしている。

しかし、民主主義国家の政府なのであれば、人権問題を横目に強固な貿易関係を追求するあまり、中国政府に対して犯した過ちを繰り返すようなことがあってはならない。今にちの中国は経済大国ではあるが、人権状況が悪化しており、政府が国境内外であからさまな弾圧を行っている。

対照的に、モディ政権下でエスカレートするインドの人権危機に注がれる注目は十分とはいえない。たとえば、6月にドイツで開催されたG7サミットといった世界的な舞台で、モディ首相は西側の指導者に積極的に応じ、言論の自由、市民社会、信教の自由を守ると誓ってみせた。が、政府の行動は言質を上回った。

モディ首相がドイツで西側諸国を魅了する攻勢に出たのと同じ週に、インド当局が独立系の事実確認ウェブサイトAlt Newsの共同創設者Mohammed Zubair氏を逮捕。2018年に投稿したツイートが、「ヒンドゥー教徒の感情を傷つけた」として氏を訴追した。これに対し、インド最高裁判所は、氏の「言論の自由の行使」を制限することを拒否し、逮捕権限を慎重に行使するよう、当局に警告。氏は3週間身柄を拘束されたのち、保釈されている。

この保釈はかなり例外的で、多くの権利活動家や政府批判者の例に当てはまらない。また当局は、2002年にグジャラート州で起きた暴動で犠牲になったムスリムのために法の裁きを追求したことへの明らかな報復として、活動家Teesta Setalvad氏を共謀罪ほかで投獄した。その1カ月後には、その暴動の際の集団レイプおよび殺人の罪で終身刑に服していた男11人を釈放。与党インド人民党 (BJP) 党員がこれを公然と祝った。

Setalvad氏やZubair氏は、モディ政権下で政治的動機を背景にした事件により逮捕された何十人もの人権活動家、ジャーナリスト、学生、宗教的少数派の一部だ。同時に政府は、こうしたケースの訴追をスムーズにするため、情報技術法とインターネット規定をたてに、コンテンツの自主規制やユーザー情報の共有をするようソーシャルメディア企業に圧力をかけている。また当局が、活動家やジャーナリスト、そして政敵を監視するために、イスラエル製のスパイウェアPegasusを使用しているという示唆もある。

モディ首相率いるヒンドゥー・ナショナリズム政党BJPが、宗教的少数派に対する差別の正当化を模索する姿勢が、暴力的なヒンドゥー民族主義の台頭に繋がった。2019 年12月に可決されたインド市民権法はムスリムを差別するもので、初めて市民権の根拠に宗教が規定された。

クアッドをはじめとする民主主義国家の政府が民主的価値を最優先する外交に真剣に取り組んでいるというのであれば、人権に対する取り締まりがどこで起ころうとも一貫して声を上げ、互いの責任を問うべきだろう。

二国間の行き来でモディ政権への支持表明が常態化するなか、国家プロパガンダと自主規制が強まっている状況においては、インド市民と直接対話できる方法を見出すことが重要だ。オーストラリア当局者および政治家は、二国間交流で議論した問題をすべてまとめた公式声明を発表し、独立系メディアのインタビューを受け、市民社会の活動家およびグループと面会すべきだ。また、ヒンドゥー民族主義団体のような有害組織が、公的な支持の証としてあからさまに使うであろう(笑顔の)記念写真撮影は避ける必要がある。

各国政府は、法的義務や人権をめぐる誓約を果たすようモディ政権に働きかけるべきだ。法の支配の侵食、とりわけムスリムを差別する法や政策、政府批判者の拘禁や嫌がらせについて懸念を表明しなければならない。また、貿易およびテクノロジー関連取引における権利改革の基準を設ける必要がある。

実際のところ、インドを世界最大の民主主義国家だと称賛するのは、インド市民に大変失礼な話である。人権侵害に目をつぶったところで、魔法のように権利尊重の国に変わるわけではないのだ。中国にもその手は通じなかったではないか。声を上げた活動家が嫌がらせを受け、沈黙させられ、訴追されているとき、ともに敢然と声を上げるのか否かを決めるのは関連各国政府自身だ。

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